2010年02月20日

ディズニーランド【改装中】2 - バッファロー・ビル

またまた、ディズニーランドの「ウエスタンランド・シューティングギャラリー」改装中のポスター。

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【バッファロー・ビル (1846 - 1917)】
幼少の頃から乗馬と射撃にたけていた。
1883年から『ワイルド・ウェスト・ショー』を興行。
(拳銃捌き・駅馬車襲撃などを実演したショー)
ヨーロッパにも巡業し、荒々しい西部のイメージをヨーロッパに広めた。
多くのダイム・ノベル (10セント小説) の主人公にされた。




1875年の写真。
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posted by ペコペコ at 00:00| ディズニーランドとアメリカ史

2010年02月19日

ディズニーランド【改装中】 - アニー・オークレイ

ディズニーランドのビッグサンダーマウンテン横の建物が改装中だった時、張ってあったポスター。(今も改装中かどうかはわかりません)

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当時の雰囲気を出すために、それっぽいイメージのポスターを作ったのかなと思いましたが、よく見たら実在の人物。
すごいっ! 単なる改装中なのに凝ってますね。




【アニー・オークレー (1860 - 1926)】

幼少の頃から評判の女性の射撃名手。
バッファロー・ビルの主催する『ワイルド・ウェスト・ショー』の看板スター。
映画やミュージカルにもなった → 「アニーよ銃をとれ」




そういえば、改装中の場所って射撃場でした。
  →「ウエスタンランド・シューティングギャラリー」

ちゃんと意味のあるポスターだったのですね。

ポスターと同じアニーの写真がありました。(1899年)
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posted by ペコペコ at 00:00| ディズニーランドとアメリカ史

2010年02月17日

ディズニーランドにあったクックストーブ

以前、ディズニーランドのレストラン「グランマ・サラ」にあったクックストーブについてのブログを書きましたが、メーカーと製品名が判明しました。

カナダのEnterprise Fawcett社 (1852年創業) の製品で、「MONARCH」というモデルのクックストーブでした。

このクックストーブは、1世紀前と同じ方法で製造した製品のようです。

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値段まではわかりませんでしたが、薪や石炭を使うので、これを日本で使用するというのはかなり無理があるように思います (^^;)
料理教室か何かで、100年前の料理体験とかあれば使ってみたいです (^▽^)

【MONARCH】
http://www.enterprise-fawcett.com/monarch.php

【Enterprise Fawcett社】
http://www.enterprise-fawcett.com/
posted by ペコペコ at 00:00| ディズニーランドとアメリカ史

2010年01月21日

ディズニーシーの地下鉄

ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントに地下鉄の入り口がありました。

うっかり見過ごしてしまいそうtds_subway.jpg


ここはブロードウェイ駅のようです
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地下鉄駅に行く階段。でも入れません。(あのドアは開くのかな? 気になります)
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クイーンズまで行くようです。
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路線図があります。本物かな? レプリカかな?
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当時実在した民間の地下鉄会社「IRT (インターボロ高速輸送会社)」の路線図でした。
(クイーンズまで行く路線は、1918年に開業しました)

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◆    ◆    ◆    ◆    ◆

1904年にIRTがニューヨークに最初の地下鉄を開通。

当時の地下鉄料金は5セントでした。
車とは違い、地下鉄は庶民のための乗り物だったようです。

1904年ではなく1906年のものですが、実際の路線図がありました。(IRTの路線図)

世界でもまだ数少なかった地下鉄。
ロンドンでは蒸気機関の頃、トンネル内の汚染された有毒な空気のため、死者まででていたらしい。
新型電気式地下鉄となった後も、地下鉄の空気は問題になっていた。

そしてニューヨークでは、人々を安心させるために書いたはずの新聞記事が、逆に不安をあおってしまうというヘマをやらかした。

ニューヨークっ子の「期待」と「心配」で、地下鉄開通の関心度は最高潮に!! 

「ニューヨーク初の地下鉄ができる! 」

でも、

「空気は大丈夫なのか?!」

そして、開通当日。大司教により祈祷が行われ・・・


こういった話が好きな方に。
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今でもトンネル工事で使われている「シールド工法」。それは一匹の船食い虫がもたらしたものでした・・・。100年前に地下鉄工事中に偶然発見された幻の地下鉄トンネルの話などもあります。
『世界地下鉄物語 (著: ベンソン・ホブリック)』

posted by ペコペコ at 00:00| ディズニーランドとアメリカ史

2010年01月17日

ディズニーシーにあった20世紀初頭のチェックライター

ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーにある「イル・ポスティーノ・ステーショナリー」という郵便局のようなお店で、20世紀初頭のチェックライター (Checkwriter) が飾られていました。
※「チェックライター」とは、小切手などに金額をガチャンガチャン印字するもの。

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どうもアメリカ「C.W. TODD & COMPANY社製」の「PROTECTOGRAPH Model H」のようです。

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PROTECTOGRAPHという製品は、20世紀初頭では最も有名なチェックライターだそうで、eBayなどのオークションにも出品されていました。

これ、どうやって使うのでしょうか?
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posted by ペコペコ at 00:00| ディズニーランドとアメリカ史

2010年01月08日

ディズニーシーにあった19世紀の「ホッチキス」

ディズニーシーの「イル・ポスティーノ・ステーショナリー」というお店で古い「ホッチキス」を発見

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これは19世紀に製造された、アメリカの「E・H・HOTCHKISS社製」のホッチキス

ホッチキス社は機関銃を製造していて、「日本軍が使った機関銃はホッチキス社製」というのにはびっくり。

ホッチキスの発明については諸説あるらしい。

一説では、
『機関銃の発明者であるベンジャミン・B・ホッチキス(1825−1885)によって発明されたとあります。機関銃とホッチキスではあまりにも隔たりがあるようですが、マシンガンの弾送り機構にヒントを得てホッチキスの針送り装置が考案された・・・』


■ホッチキスの歴史
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_35.html (各テレビ局が調べた歴史など)
http://wis.max-ltd.co.jp/op/h_story8.pdf

posted by ペコペコ at 01:00| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月28日

ニューヨーク - 路面電車

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ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントに、20世紀初頭の路面電車のレールだけがある。
車の普及とともに路面電車は衰退していったのだが、そんな当時の様子を表しているのかもしれない。


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『Manhattan's Lost Streetcars』 著者: Stephen L. Meyers

当時のニューヨークの路面電車の写真集があった。
日本語の本で100年前のアメリカの写真ってあまりないので見てみたい。探したけれど図書館にはないなぁ・・・
この写真集買うか迷ったのだけれど、Google Booksで本の一部が試し読みできるのを発見。

 Manhattan's Lost Streetcars (Google Books)

面白そう。
Google Booksは著作権がらみで各国で問題になっていますが、買う側にしてみれば事前に確認できるのでありがたいですね。



ニューヨーク路面電車が他の都市と違うところは、

 「上には架線がない!」

ニューヨークでは景観にうるさかったので、条例により 「空中に電線を貼ることが禁止」 されていたのです。

じゃあ、電気はどこからとっていたのだろう。

ニューヨークの路面電車は、「地中に埋設した給電線から、集電靴で集電」する方式で、「暗渠式集電」とか「コンデュイット方式」と言うらしい。

100年前のブロードウェイの写真をよーく見ると、レールが3本ある!
中央のレールが集電用のレールになっているらしい。
(※ディズニーシーの路面電車のレールはわかりやすく2本)

地面から電気を得るなんて歩いている人が感電しないか心配だけれど、必要な時だけ電流を流すように工夫されていたようだ。

敷設するために地面を掘らなければならなかったので、手間もお金もかかり大変だったみたい。

この方式、雨水で絶縁不良を起こす恐れがあったので、雨の多い日本では実現しなかった。

技術的なしくみは、『路面電車の技術と歩み (著:吉川 文夫 グランプリ出版)』の47、48ページに書いてある。

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posted by ペコペコ at 22:25| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月20日

エジソンの蓄音機

ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントにあった蓄音機

「EDISON HOME PHONOGRAPH」
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エジソンの家庭用の蓄音機で、1900年代に発売されていたもの。
A、B、C・・・と複数のモデルがあったようです。(1896〜1913年まで7つのモデル)
ホーン以外は、1903年製造のModel Aと同じ物のように思います。
※ホーンの部分は調査不足のため正確にはわかりませんが、このタイプはCYGNET HORNと言うらしい。1910年製造のModel Dのホーンに似ています。

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アメリカのeBayでは、数万円で出品されていました。


「シリンダーレコード」

手前にある「EDISON BLUE AMBEROL RECORD」という筒は「シリンダーレコード」で、これに録音・再生して使用していました。今でいうレコードやCD等のメディア。
たぶんレプリカだと思う。

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1908年の雑誌の広告
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eBayでは4分のものが多く出品されていました。


【蓄音機】 - 1877年
『エジソンは銅製の円筒(シリンダー)に錫箔(すずはく)を巻き付けたものを手で回転させ、振動板に直結した録音針を錫箔に押し当てて、錫箔の変形としてつくられる溝の深さを音の強さに応じて変化させることにより音を記録した。
そして、この溝を針でふたたびたどらせることにより、音を再生した。
エジソンはこの世界最初の録音・再生機をフォノグラフPhonographと名づけて発表した。
最初の公開でフォノグラフから再生された音は、エジソン自身の声による『メリーさんの羊』であったと伝えられている。
(中略)

円筒形レコードは複製による大量生産ができないという致命的な欠陥があった。』

参考文献: Yahoo! 百科事典 - 蓄音機



posted by ペコペコ at 02:32| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月14日

100年前のアメリカにあった日本の銀行

ディズニーランドのワールドバザールは、19世紀後半から20世紀初頭のアメリカを再現しています。

銀行も通常業務を行っており、当時を忠実に再現していたりします。
初めて利用する人は「ここって使えるの?」と半信半疑の様子。

写真は「三井住友銀行 (東京ディズニーランド出張所)」。

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真ん中の大きい絵は、江戸時代の越後屋でしょうか?
のれんに「井げたの中に三」の三井のマークのようなものが描かれていました。

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ランド内で一番ふかふかなソファー。



「銀行強盗対策」に窓口が格子になっていたり、行員さんの制服もディズニーランド仕様で通常の制服とは違いました。
ちょうど閉店時間の21:00に通りかかったら、警備員さんの制服まで当時風。おもしろい帽子をかぶっていた (^o^)

「100年前のアメリカには、日本の銀行はあったのかな?」と思い調べてみたところ、

あった、あった! 住友銀行は積極的に海外進出していたようです。

『住友銀行百年史』によると、



・【1916年9月】 カリフォルニアに 「桑港(サンフランシスコ)支店」 を開設。

・【1916年10月】 The Sumitomo Bank of Hawaii
          ホノルル市フォート街801番地に 「布哇 (ハワイ) 住友銀行」 を設立。

・【1918年1月】 「シアトル支店」 開設。

・【1918年2月】 ブロードウェー147番地に 「紐育 (ニューヨーク) 出張所」 を開設。
           (1922年に紐育支店に改称)

・【1919年11月】 The Sumitomo Bank of Seattle
          シアトル市第3街802に 「シアトル住友銀行」 を開業。

・【1924年?月】 「ロスアンゼルス支店」 開設。

・【1925年3月】 The Sumitomo Bank of Calfornia
          「加州 (カリフォルニア) 住友銀行」 設立。




◆その他
・日系人が多い地域に出店 (日本へ送金するニーズが高かった)。
  サンフランシスコ - 最初に日本人が移住。
  ハワイ - 1918年(大正7)には人口の4割にあたる約一万人にが日系人。
・当時、横浜正金銀行 (東京銀行の前身で、現在は東京三菱銀行) もニューヨーク支店があったと何かの本で読んだ。
・1918年5月 ヨーロッパには 「倫敦(ロンドン)支店」 をグレースチャーチ街87番地に開設。
 (当時世界の金融の中心はアメリカではなくイギリス)


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 当時の住友銀行ニューヨーク支店

posted by ペコペコ at 19:00| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月13日

幻のトンネル

80年前の「タイムトンネル」、大阪で発見

12月11日7時3分配信 読売新聞


明治、大正に大阪―奈良間を結んだ大阪鉄道の路線で、1931、32年の大規模な地滑りですべて崩壊したとみられていたトンネル「亀ノ瀬隧道(ずいどう)」(大阪府柏原市)の一部がほぼ原形のまま見つかり、9日、報道各社に公開された。

 約80年前、土砂の下に消えた〈幻のトンネル〉に、関係者は「まさか当時のまま残っていたとは」と驚いている。

 トンネルは1892年、大和川右岸の生駒山地を貫いて建設された。昭和初期の地滑り後、出入り口が封鎖され、間もなく現場を迂回(うかい)する別の路線(現JR関西線)が建設された。

 見つかったアーチ状のトンネル内部はれんがで覆われ、幅3・3メートル、高さ4・6メートル。昨年、国土交通省が排水トンネルの敷設工事で周辺を掘削作業中、全長約500メートルのうち、66メートルが崩壊を免れているのを確認した。同市教委と国交省は、一般公開の方法を検討する。市教委の担当者は「約80年前の空気が詰まったまさにタイムトンネル」と話した。


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見つかった亀ノ瀬隧道の一部。蒸気機関車のすすで天井が黒くなっている。 (asahi.com)


今から約100年前、ニューヨークで似たようなことが出来事があった。


「1912年2月、BMT (ブルックリン=マンハッタン輸送会社) の作業員たちが自分たちの路線建設の中にこのトンネルに行き当たったときは肝をつぶしたものだ。
それが最初に公衆の目に触れて以来、42年の歳月が流れた。それはまるで考古学的発見のようだった。
駅は、まだほとんどそのままの状態で保存されていた。長く水が枯れていた噴水も、依然そこにあり、車は線路上にあった。
シールドさえも、トンネルの最先端の壁際に決然とした様子で置かれていた。
シールドの木製隔壁はすでに腐っていたが、さびついた金属フレームはまだ強靭だった。

(中略)

トンネルは結局BMT市庁舎駅の一部となり、一枚の簡素な飾り板がこの来歴を物語っている。」


参考文献『世界地下鉄物語 (著:ベンソン・ボブリック 晶文社)』 - 第6章 幻の地下鉄


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1912年の発見当時の写真

【2010/8/19 追記】
以下の新聞記事は、これとたぶん同じトンネルのことだと思います。今は月一で見学ツアーがあるらしい。行ってみたいなぁ。 (以下は記事引用)

【外信コラム】NY地下に広がる忘れられたトンネル…魅惑の世界
2010.8.19 02:54

 ニューヨーク・ブルックリンの目抜き通りの下に、使われていない地下トンネルが眠っていることは、ニューヨーカーにもあまり知られていない。月に1度、見学ツアーが行われているというのでのぞいてみた。

 車が行き交う大通りの真ん中にあるマンホールを入り口に地下世界の探検が始まる。トンネルは郊外に向けて延びるロングアイランド鉄道用に掘られたもので、1844年に開業し、14年間にわたって使用されたものの、その後閉鎖され存在が忘れ去られてしまっていたという。

 地元住民のボブ・ダイアモンドさんがうわさを耳にし、古い記事などをもとにトンネルを再発見したのが1980年。ダイアモンドさんはその後、語り部として今でもツアーで当時のいきさつを語り続けている。

 個人的に、地下世界にはいささか興味がある。ロサンゼルス支局時代、フレズノというカリフォルニア中部の街で忘れられた地下街の一部が発見されたとの記事を書いたこともあった。

 そんな話を何気なくトンネルの中で、テキサス州オースティンからやってきた男性教師にすると、驚いたことに「その話は知っている」という。彼は全米の地下トンネルを調べ上げているマニアだった。地下世界の魅力にはどうやら、普遍的なものがあるようだ。 (産経新聞)



◆    ◆    ◆    ◆    ◆

【ディズニーシー】
ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントは1912年の設定で、地下鉄の入り口がある。
ニューヨークの幻のトンネルが発見された年と同じ。

posted by ペコペコ at 21:03| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月12日

クックストーブ/クッキングストーブ

クックストーブ (cookstove)

ディズニーランドの『グランマ・サラ』で、クックストーブを発見。
ここのアメリカンカントリーの雰囲気大好き♪

料理を受け取るカウンターの後ろにあり、業務用コーヒーメーカーが上に乗っていた。
製造メーカーや年代は不明。 【追記】メーカー・製品名わかりました。写真・詳細はこちら。

使い込まれて古そうなクックストーブだったけれど、他にも昔風のキッチン用品がいろいろ置いてあった。本物なのかな?

子供の頃はガスのオーブンだったので、火加減や調理時間が難しかった。クッキーを焼いても、焼き具合が一定しない(笑)
だけど「薪」はもっと大変そう!

クックストーブは、
 「大草原の『小さな家の料理の本』―ローラ・インガルス一家の物語から」

 「赤毛のアン レシピ・ノート―L.M.モンゴメリの台所から」
に書いてあったような記憶が・・・
もう少し詳しく調べてみようと思う。




posted by ペコペコ at 23:54| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月09日

ミシン

ディズニーランドとディズニーシーで100年前の古い「ミシン」を発見

ディズニーシーのニューヨークデリ内
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はじめは「レプリカ」かディズニーが得意とする「エイジング」技術で、わざと古そうに見せているのかと思ったのだけれど、よく見ると本物っぽい。

実在した製品か調べてみたところ... あった、あった。似てるのがあった♪ 

このミシンは 「シンガー社製 の Model 99 (1920年代〜1930年代)」 のようだ。
アメリカのeBayで同モデルのものが 100ドル 前後で出品されていた。
ミシンマニアのサイトもいろいろあって、ミシンの世界もけっこう奥が深そうだ。


こちらは、ディズニーランドのワールドバザールにあったもの
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シカゴの通信販売会社「シアーズ・ローバック (1893)」が販売していた「MINNESOTA Model A」
製造はDavis Sewing Machine社。
値段は1910年で16ドル (現在の300ドル相当)。
Davis Sewing Machine社が販売していた最高級品モデルEと同一。

※参考: 1910年の当時一般市民の年収
      ・農業 = 336ドル
      ・学校職員 = 492ドル
      ・産業 = 630ドル


ワールドバザールにもう一台あって、こちらもシンガー社製のもの
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実家に母が使っていた古い足踏みミシンがあったので (今もあるのかな?)、このミシンを見たとき子供のころのことをいろいろ思い出したりして、なんか「懐かしくて、あったかい」気持ちになりました。
いいなぁ、足踏みミシン。

アナログな機械って馴染めば馴染むほど、自分の体の一部になった感じがしますよねぇ。
最近そういうのないなぁ。


◆    ◆    ◆    ◆    ◆


【アメリカの服飾産業 − 大量生産の歴史】

 ・ミシンの改良・特許・普及 (1850年。シンガーが現在と同じ構造のミシンを発明)
   ↓
 ・洋服の型紙の発明 (1863年)
   ↓
 ・既製服 (1900年代)
   ↓
 ・工場で大量生産

  ※手動ミシンの値段: 25ドル(1900年)

posted by ペコペコ at 20:05| ディズニーランドとアメリカ史

2009年12月08日

100年前のニューヨーク

『100年前のニューヨーク』 (マール社)

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100年前のニューヨーク市全域の主な建物と市街地の写真や絵を紹介した本。

原著は『KING'S VIEW OF NEW YORK』という100年前の1908年に出版された本なので、説明文も当時のもの。

なので、「現在建築工事の途中」なんて文言もあり、

  ・建物の土地代
  ・総工費
  ・高さ
  ・総床面積
  ・ビルの所有者の名前(社長・オーナー) etc...

なども載っている。

ちょうど都市交通システムの過渡期なので、道は人・馬車・路面電車・車でごっちゃごちゃ。もちろん信号なんてないし!

それにしても100年前であるにもかかわらず、高層ビルが立ち並ぶ摩天楼には驚き。

おもしろいのは、原著の『KING'S VIEW OF NEW YORK』の表紙は、当時の人が思い描いた「未来のニューヨーク」。

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The Skyscraper Museum

高層ビルは「超」高層ビルとなり、高架鉄道はその「超」高層ビルの上を走る「超」高架鉄道となっている。

怖いけど、その「超」高架鉄道には乗ってみたい (^o^)


◆    ◆    ◆    ◆    ◆

【ディズニーシー】
ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントは1912年の設定なので、この本の写真と絵はその数年前の実際のニューヨークの様子。
ポートディスカバリーの建造物は、20世紀初頭の人々が描いた未来像をもとにデザインされているらしい。

【キャンディ・キャンディ】
作品中には1912年〜1914年のニューヨークがでてくる。
※舞台はこの本の数年後のニューヨーク。

posted by ペコペコ at 23:05| ディズニーランドとアメリカ史