2010年01月29日

アルバートさんの旅はバックパッカー風グランドツアー?

先日、『一〇〇年前の世界一周』のブログを書いているときに思ったことです。

アルバートさんはアードレー家を継ぐという人生の節目にアフリカやイタリアへ旅に出ました。
旅のイメージとしては現代の「バックパッカー」そのもののような気がします。(たぶんマンガもそのイメージなのでしょう)

でも、当時の事情を考えると「バックパッカー」というのは厳しい。やっぱりお金持ちなので「グランドツアー」になるのかなとちょっと思いました。
見かけ「バックパッカー」、実質「グランドツアー」かなと。

 
・ ・ ・


「グランドツアー」について
グランドツアーというと、18,19世紀の上流階級の子息のステータスとしての旅行というイメージですが、20世紀初頭のグランドツアーは少し違うようです。

20世紀の前と後で違いをあげてみました。
※ただ、一般的にグランドツアーの説明には20世紀初頭についての記述はないようです。(でももう少し調べてみるつもり)

【18,19世紀】

 イギリスの上流階級の子息が教育のしめくくりとして、

 ・「交友関係を広げる手段として旅」
 ・「紳士としての資格を得るために必見のものを見てまわる」
 ・「ただ単に旅に出たという事実と、話の種に役立つという旅」
 ・留学ではなく「遊学」
 ・使用人を従えた優雅な旅

【20世紀初頭】

 ・上記のような単なるステータス目的ばかりではない。
  他の文化を理解したい、教養的なもの、内面的なものなど目的は現代の旅の先駆け?
 ・イギリス人だけではなく、フランス人やドイツ人、アメリカ人もグランドツアーをするようになった。
 ・豪華客船などが増え、交通網が発達し旅行しやすくなった。
   特にヨーロッパ - 北アメリカの航路が増えた。
   ヨーロッパ - アフリカ航路も人気。
 ・アメリカ人富裕層のヨーロッパへのあこがれ
 ・ヨーロッパだけではなく、アメリカやアジア・アフリカへ行く人も増えた
 ・ジュール・ヴェルヌ作『八〇日間世界一周』の影響


どちらも「お金持ち」の旅行で、期間は「数カ月から数年」というのは同じようです。

posted by ペコペコ at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | キャンディ

2010年01月27日

『一〇〇年前の世界一周』

『一〇〇年前の世界一周』ワルデマール・アベグ写真・回想録
 (ナショナル・ジオグラフィック)

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『八〇日間世界一周』の作者ジュール・ヴェルヌが世を去った1905年、1年半をかけて世界一周をしたドイツ人青年ワルデマール・アベグの写真・回想録です。

あれ? カラーは表紙だけでモノクロ写真集かと思っていたら、カラー写真もたくさん。
カラーのものは着色写真なのですが、通常のカラーフィルムで撮ったように奇麗!

ニューヨークやシカゴの写真、20世紀初頭のアメリカ史好きにとっては大変興味深い。

 -- 海側 (ハドソン川?)から撮った、当時の摩天楼。

 -- 馬車や車・高架鉄道。

 -- ベルエポック風のファッションに身を包んだ人たちが街を闊歩している都会の様子。

人々が何かを噛みながら歩いているのに気付き、それは何かと思ったら「チューインガム」だったらしい (^o^)
アメリカ人はいつからガム好きだったんだろう?


「旅のなかでも最も深い印象を与えた国」という日本の写真もすごく新鮮!

当時はハワイから日本は船で10日もかかっていたとか。へぇー。

ガイドであり親友となった「ナカノ」さんと4カ月間日本を巡ったそうです。
(ワルデマールは都会より田舎好きのよう)
このガイドのナカノさん、何枚か写真に写っていますが、一見宮沢賢治風。
家族を養うために学問をあきらめたらしいですが、英語とドイツ語を完璧に操り、常に冷静沈着。
回想録にはニューヨークで会ったドイツ人に紹介されたとある。口コミかぁ。ナカノさんすごいなあ。
そして、桜が咲く頃、下関で花見をして日本を出発。その後は中国やインドへ・・・

写真だけではなく回想録もおもしろい。

当時、ヨーロッパ(とアメリカ)の上流階級で「グランドツアー」と呼ばれる旅行が流行っていた。
ワルデマールの旅もいわゆる「グランドツアー」。

グランドツアーはもともと18、19世紀のイギリスで「紳士としての資格を得るために必見のものを見てまわる」という、「ただ単に旅に出たという事実と、話の種に役立つという旅」だったようですが、20世紀に入ってからは「他の文化を理解する旅」へと変わっていったよう。

そして、この1年半の旅は、ワルデマールのいままでの価値観を変えてしまう旅に・・・

その後のワルデマールは、53才で州知事になったが、「ナチスドイツに反感を抱いていて、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した」とある。80才を過ぎてから、この回想録を執筆。


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2010年01月21日

ディズニーシーの地下鉄

ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントに地下鉄の入り口がありました。

うっかり見過ごしてしまいそうtds_subway.jpg


ここはブロードウェイ駅のようです
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地下鉄駅に行く階段。でも入れません。(あのドアは開くのかな? 気になります)
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クイーンズまで行くようです。
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路線図があります。本物かな? レプリカかな?
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当時実在した民間の地下鉄会社「IRT (インターボロ高速輸送会社)」の路線図でした。
(クイーンズまで行く路線は、1918年に開業しました)

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◆    ◆    ◆    ◆    ◆

1904年にIRTがニューヨークに最初の地下鉄を開通。

当時の地下鉄料金は5セントでした。
車とは違い、地下鉄は庶民のための乗り物だったようです。

1904年ではなく1906年のものですが、実際の路線図がありました。(IRTの路線図)

世界でもまだ数少なかった地下鉄。
ロンドンでは蒸気機関の頃、トンネル内の汚染された有毒な空気のため、死者まででていたらしい。
新型電気式地下鉄となった後も、地下鉄の空気は問題になっていた。

そしてニューヨークでは、人々を安心させるために書いたはずの新聞記事が、逆に不安をあおってしまうというヘマをやらかした。

ニューヨークっ子の「期待」と「心配」で、地下鉄開通の関心度は最高潮に!! 

「ニューヨーク初の地下鉄ができる! 」

でも、

「空気は大丈夫なのか?!」

そして、開通当日。大司教により祈祷が行われ・・・


こういった話が好きな方に。
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今でもトンネル工事で使われている「シールド工法」。それは一匹の船食い虫がもたらしたものでした・・・。100年前に地下鉄工事中に偶然発見された幻の地下鉄トンネルの話などもあります。
『世界地下鉄物語 (著: ベンソン・ホブリック)』

2010年01月19日

100年前のアメリカの広告

『Vintage Ad Browser』

アメリカの広告を集めたサイトで、「1800年代〜2000年」まであります。

20世紀初頭の広告は、ほとんどイラスト広告。
味があるっていうんでしょうか。どれも面白いですね。

・トップページにカテゴリー表示
vintage_top.jpg

・カテゴリー内では、年代ごとに見れる
vintage.jpg


日本でもおなじみのものをいくつかピックアップ。


■ポンズ - PONDS (1904)
http://www.vintageadbrowser.com/beauty-and-hygiene-ads-1900s

■リステリン - LISTERINE (1915)
http://www.vintageadbrowser.com/beauty-and-hygiene-ads-1910s/7

■コカコーラ (1905)
http://www.vintageadbrowser.com/coke-ads

■ビクターの蓄音器 (1906)
http://www.vintageadbrowser.com/electronics-ads

■コロンビアの蓄音器 (1914)
http://www.vintageadbrowser.com/communications-ads-1910s

■COLT REVOLVERS - 拳銃 (1906)
http://www.vintageadbrowser.com/guns-ads

■Pyrex の耐熱皿 (1918)
http://www.vintageadbrowser.com/household-ads-1910s

■ヴォーグ - VOGUE (1916〜)
http://www.coverbrowser.com/covers/vogue

■ミシュランのタイヤ (1908)
http://www.vintageadbrowser.com/industry-ads-1900s

■テディ・ベア (1908)
http://www.vintageadbrowser.com/kids-and-babies-ads-1900s

■兵士募集 (1910年代)
http://www.vintageadbrowser.com/military-ads-1910s

■コダックのカメラ (1880〜)
http://www.vintageadbrowser.com/photography-ads

■Gilletteのカミソリ (1919)
http://www.vintageadbrowser.com/shaving-ads
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2010年01月18日

100年前のアメリカの女傑を探す

実在した人物で、キャンディ・キャンディに出てくるエルロイ大おばさまのような女性を探しています。

ポイントとしては、

 ・19世紀末から20世紀初頭
 ・大富豪
 ・「女傑」系

単に「貫禄があって、おっかないおばさん」はたくさんいると思うので、この3点は重要です。

今のところ、この条件にマッチしたのが2名いました。

 ・「ウォール街の魔女」と呼ばれたニューヨークの女相場師 『ヘティ・グリーン (1834-1916)』
 ・シカゴの大富豪 『バーサ・パーマー (1849-1918)』

この2人はともには「女性実業家」。
女性の社会的地位が低い時代にすごいですね。

バーサ・パーマーは、「慈善家で女性の社会問題解決の活動をしている」などと書いてあったので、最初は「ちょっと違うな」と思っていたのだけれど、シカゴ万博では理事長をしたり、彼女に対して「The queen bee of Chicago (シカゴの女王バチ)」という表現が使われていたりと、かなりやり手なイメージに変わった。(^^;)

ヘティ・グリーンはいつもボロボロの服を着て貧乏人のような暮らしをしていたドケチだそうなので、バーサ・パーマーのほうが近いかもしれない。年齢も近そうだ。
でも、ヘティ・グリーンの恐れられ系は似ているので、バーサ・パーマーと合体させればいい感じになるような気がする。
やっぱり単体で似ている人を探すのは厳しい。

ただ、エルロイ大おばさまが実業家としての一面を持つかどうかはわからないんですよね。
マンガでは変わり者のウィリアム大おじさまに変わって、アードレー家の総長として長年一族を束ねてきた様子が描かれているのだけれど、アードレー家の事業に関してはあまり描写がない。
ウィリアム大おじさま (というかアルバートさん) はあまり仕事をしていなかったようなので、銀行をはじめ、手広くやっていた事業はいったい誰が・・・。

でも、シカゴの名士の一人として、そして社交界でも名立たる存在であるのは間違いなさそう。

まあ、とりあえず次はニューヨークの社交界あたりを探してみることにする。



日本で「女傑」といったら誰なのどうだろう? とちょっと考えてみたけれど、あまり思いつかない。
あの時代「女傑」の女性実業家といったら大浦慶くらいしか知らないのだけれど、他に誰かいないかな?
posted by ペコペコ at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ史

2010年01月17日

ディズニーシーにあった20世紀初頭のチェックライター

ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーにある「イル・ポスティーノ・ステーショナリー」という郵便局のようなお店で、20世紀初頭のチェックライター (Checkwriter) が飾られていました。
※「チェックライター」とは、小切手などに金額をガチャンガチャン印字するもの。

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どうもアメリカ「C.W. TODD & COMPANY社製」の「PROTECTOGRAPH Model H」のようです。

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PROTECTOGRAPHという製品は、20世紀初頭では最も有名なチェックライターだそうで、eBayなどのオークションにも出品されていました。

これ、どうやって使うのでしょうか?
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2010年01月16日

100年前の新聞記事 - TimesMachine

『ニューヨーク・タイムズ誌のサイト』 - 昔の記事のアーカイブ
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創刊の「1951年〜1922年の70年間」分の記事が閲覧できるサービス。 (『TimesMachine (タイムズマシン)』)
※残念ながら定期購読している人のみ対象

でも、サンプルとして一部無料で見れるものがあります。
記事だけではなく広告なども掲載されているため、当時の様子を垣間見ることができて、サンプルだけでも面白い。

  ・創刊日 - 1951年9月18日
  ・リンカーン暗殺を伝えた日 - 1965年4月15日
  ・タイタニック号沈没 - 1912年4月16日
  ・第一次世界大戦終結 - 1918年11月11日
  ・国際連盟設立 - 1919年1月26日



【ニューヨーク・タイムズ】
1851年9月18日に、「ニューヨーク・トリビューン」誌の記者だったHerry J. Raymondと2人の銀行家George Jones、Edward B.Westleyで創刊。
センセーショナルなペニーペーパーではなく品のいい新聞を目指した。
4ページ建てで1セントと安かった。(創刊10週後に8ページ建て2セントに値上げ)

参考文献『アメリカを知る事典』



創刊日の新聞 - 1951年9月18日
創刊時の新聞の題号は 『The New York Times』 ではなく 『New York Daily Times』でした。(1857年に改題)
まだ写真はなく、文字のみ。
当時は写真自体はあったが、それを新聞に載せることは技術的に不可能な時代です。
いつから写真掲載はあったのだろう。気になるけど、サンプルしか見れないので確認できない。
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リンカーン暗殺を伝えた日 - 1965年4月15日
この黒い太線はなんなんでしょう? 当時の「死亡罫」でしょうか?
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タイタニック号沈没 - 1912年4月16日
タイタニックの記事は6ページもある。
広告が楽しい。写真ではなくイラストで載っている。
コルセットや帽子、靴の値段はいくらかな? ピアノまである。
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第一次世界大戦終結 - 1918年11月11日
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国際連盟設立 - 1919年1月26日
驚くのは国際連盟設立の記事ではなく、この日の新聞は「94ページ」もあること!
良く見たら「日曜版」。でも全部読んだら一日が終わっちゃう。
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※新聞で94ページというのはすごいですね。新聞配達の人、大変だったろうに・・・。
ページ数でいえば、1920年代のフロリダ土地バブルの頃『マイアミ・デイリー・ニューズ』紙は、新聞史上はじまって以来という504ページの新聞を出している。紙面は誇張だらけの不動産広告蘭で埋め尽くされていたそうです。

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2010年01月15日

紙のサイズ - リーガルサイズとレターサイズ

年賀状シーズンはよく目にする紙のサイズがあります。

 「リーガル」
 「レター」


普段はA4サイズでしか印刷しない人が多いと思いますが、用紙のサイズを「はがき」にかえるとき、プルダウンリストに出てくるので目にすることもあるかと思います。

「これなんだろう」とは思うのはその時だけで、いつもすぐに忘れてしまう。

なので、ちょっと調べてみることにする。



どちらも世界規格ではなく、アメリカ独自のサイズのようです。

【レターサイズ (letter size)】
 アメリカでは一般的なサイズ。
 コピー用紙の8割はこのサイズ。
 ビジネスレター、雑誌やノートなども。
 8.5×11インチ(約216×約279ミリ)
 A4サイズよりも、6ミリほど広く、縦に18ミリほど短い。

【リーガルサイズ (legal size)】
 リーガルとは「法」のこと。
 アメリカでは契約書や申請書などによく使われるサイズ。(法律関係や不動産業など)
 8.5×14インチ(約216×約356ミリ)
 A4サイズよりも、幅が6ミリ・長さが6センチ大きい。かなり縦長。




ちなみに、A4サイズなどの「A列」は国際標準サイズ。
ドイツ工業規格が起源で、19世紀末に物理学者のオズワルドによって提案されたサイズ。

B5サイズなどの「B列」は日本独自のもので、「美濃紙」がルーツ。
美濃紙は江戸時代の公用紙で、徳川御三家以外は使うことが許されなかった。
明治政府が公文書に美濃紙サイズを引き継いだ。

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2010年01月14日

アメリカ民謡

『The American Song Treasury: 100 Favorites』 Raph

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アメリカ民謡の楽譜です。

日本で売っている楽譜で「アメリカ民謡」だけを扱っているのがなかったので、Amazonで洋書を購入しました。2000円くらい。

100曲のうち、知っている曲は20曲くらいなのですが、

  「この曲もアメリカ民謡だったのか。」

  「この曲スーパーでよく聞くなあ。」

という発見もあり (^o^)

このブログでおいおい紹介していきたいと思います。

年代順 (1620〜1958年まで)
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曲の解説があります
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ピアノとギター譜
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全歌詞
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2010年01月13日

インフルエンザ - 1918

Influenza 1918 (American Experience)

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上記のサイトで、1918年にアメリカで発生したインフルエンザの番組が視聴できます。

 ・当時の写真や映像
 ・医者、学者のインタビュー
 ・当時を知る人のインタビュー

※この「American Experience」を制作しているPBSは、アメリカの教育・教養テレビです。
  (PBSは、日本ではセサミストリートが有名)


【発生源】

 ・1918年3月11日。
 ・カンザス州フォートライリー (Fort Riley, Kansas) の兵士。
 ・その後、カンザスの兵士たちはヨーロッパへ出兵し、インフルエンザは各国に広がる。


【1918年という年】

 ・第一次世界大戦でアメリカが参戦中。
 ・航空便が始まる。 [シカゴ - ニューヨーク間] を10時間5分で飛行。
 ・ベーブルースがワールドシリーズでボストンレッドソックスを勝利に導く。


【死者】

 ・世界で少なくとも3000万が死亡。


動画には字幕はありませんが、画面左下の「Show Transcript」でセリフの全文 (英語) が記述してあるページが表示されます。


◆    ◆    ◆    ◆    ◆

■発生源について
wikipediaに発生源がデトロイトと書いてありますが、このカンザス説の方が正しいと思います。
wikiは少し前まで発生源はシカゴとか書いてあったんですよね。(ToT)
どうもシカゴは出典元もはっきりしないネタだったらしい。信じてシカゴであるという裏付け資料を探しまわってしまいました (怒)
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2010年01月08日

ディズニーシーにあった19世紀の「ホッチキス」

ディズニーシーの「イル・ポスティーノ・ステーショナリー」というお店で古い「ホッチキス」を発見

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これは19世紀に製造された、アメリカの「E・H・HOTCHKISS社製」のホッチキス

ホッチキス社は機関銃を製造していて、「日本軍が使った機関銃はホッチキス社製」というのにはびっくり。

ホッチキスの発明については諸説あるらしい。

一説では、
『機関銃の発明者であるベンジャミン・B・ホッチキス(1825−1885)によって発明されたとあります。機関銃とホッチキスではあまりにも隔たりがあるようですが、マシンガンの弾送り機構にヒントを得てホッチキスの針送り装置が考案された・・・』


■ホッチキスの歴史
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_35.html (各テレビ局が調べた歴史など)
http://wis.max-ltd.co.jp/op/h_story8.pdf

2010年01月03日

大陸横断鉄道

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【大陸横断鉄道】 ヒストリーチャンネル
アメリカの東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道。その開通の裏には壮絶なドラマがあった。立ちはだかる山脈、自然の猛威、ネイティブ・アメリカンの襲撃。労働者達は様々な困難を強靱な精神力と肉体でうち砕き、ついに、線路は繋がった。その瞬間、アメリカの新たな時代がスタートした。


【大陸横断鉄道ができる前の大陸を横断する旅の3つの方法】

 1. 馬 (パナマ地峡のジャングル) → 1か月
 2. 船 (南米の最南端ホーン岬を回る) → 4カ月
 3. 馬車か徒歩 (アメリカの荒野) → 数か月


【2つの鉄道会社が着工】
 ・セントラルパシフィック鉄道 西〜 サクラメント(カリフォルニア州)
 ・ユニオンパシフィック鉄道  東〜 オマハ(ネブラスカ州)

【時代】
 ・南北戦争が始まったばかりの頃
 ・リンカーン大統領

【政府の決定事項】
 ・鉄道債券による融資を1.6kmにつき48,000ドル
 ・鉄道が完成したら返済
 ・線路が1.6km完成するごとに、約52平方キロの土地が鉄道会社に与えられる

2つの鉄道会社は「合流地点を決めないまま」、どちらがより多く線路を敷くか「競争」

 → 助成金と融資・土地を獲得するため


【期間】
 1863〜1869年の6年間

【合流地点】
 ユタ州のプロモントリーポイント

【賭け】
 一日にどれだけレールが敷けるか。
 作業員たちは昼食もとらず働き、最高記録16kmのレールを敷いた。
 4日分の給料が払われた。
 いまだにこの記録は破られていない。

【画期的な方法】
 ・トンネルを掘るのにニトログリセリンを使用。
  危険なため、科学者に毎朝1回分づつ造らせた。(セントラルパシフィック鉄道)

【水】
 蒸気機関車には水が必要。
 1km 進むのに157リットルの水が必要。
 22kmごとに線路脇の貯水タンクに水を置いていた。


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2010年01月02日

電話の歴史

「いったん電話を知ったなら、誰だってそれなしではいられなくなる」

100年以上前にベル社 (電話を発明したグラハム・ベルの会社。後のAT&T) の人が言った言葉らしいです。
当時は電話代が高くて、月収の5パーセント〜10パーセントを電話料金が占めていたと知り一瞬おどろきましたが、よくよく考えたら今の「携帯電話」事情とあんまり変わらないですね。

「電話」を「携帯電話」に置き換えて、

「いったん携帯電話を知ったなら、誰だってそれなしではいられなくなる」



■電話の発明

 ・1876年ベルが発明。(特許取得)
 ・「電話」の発明以前は、「電信」を使用していた。

■使用者

 ・最初に電話に加入したのはどういう人々だったか?

   → 医者 (緊急時の連絡など)
   → ビジネスマン

 ・加入者と回線数 (1891年, ニューヨーク・ニュージャージー電話会社)

  医者と病院 937
  薬局 401
  酒屋 363
  馬車業者 315
  金属加工場 162
  弁護士 146
  工事請負業者 126
  印刷屋 100

  ※事業用の顧客 7322
   住宅用の顧客 1442 (主に医者・事業主・経営者)

 ・増加数 (合衆国の電話機)

  1880年 1000人当たり1台 (6万台)
   ↓
  1893年 250人当たり1台 (26万台)

 ※「電信」の利点は、文書記録。
   ビジネスマンのなかには電話よりも電信に価値をおいているものもいた。


■電話料金

【ベル社独占の時代】

 [1888年 ロサンジェルス都心部]

  ・基本料金は月4ドル
  ・40通話以降、1通話につき2セント加算

   ※非農業労働者の平均賃金の10パーセントにあたる。

 [1888年 ボストン]

  ・基本料金は月6ドル

ベル系列各社は独占をいいことに、市場が耐えられるぎりぎりの高い料金を徴収。暴利をむさぼっていた。


ベル社の特許が切れた1893、1894年以降 - 自由競争時代】

 ・電話料金は急激に下がる。
 ・加入者数は急増。
 ・技術的にも優れたサービス。

■共同回線

 ・複数の顧客で同じ回線を使用する。
 ・個人専用の回線よりも料金が安い。
 ・話し中が多い。
 ・ほかの加入者にも呼び鈴が鳴る。
 ・盗み聞きされる。

■均一料金から測定料金へ

 1900年にシカゴ・ベル社では、10軒共同加入のコイン式共同回線をとりつけた。
 (通話のたびにニッケルを入れる)

■1915年 初の大陸横断通話が成功
    (ニューヨーク → サンフランシスコの万国博覧会の会場に電話)

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『電話するアメリカ - ネットワークの社会史 (著: クロード・S・フィッシャー)』



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